2016年御翼8月号その3

                                          

見えなくなる恐怖 ――― ジョアン・ミルン

  

 今から42年前、イギリスで生まれたジョアン・ミルンは、生まれつき聴覚に障がいを抱えており、音はほとんど聞こえない。読唇術を身につけ、一般の学校に通うが、いじめを受ける。両親に愛されていたジョアンであるが、父は仕事のため週末しか返ってこない。そこで、祖父が父親がわりであった。ある日、いじめられて学校から帰ると、祖父が出迎えてくれた。ジョアンは祖父に「耳が聞こえない人間は、ダメな人間なの?」と相談した。 祖父は、「人間の価値というものは目に見えない。心の中のありようで決まるんだよ」と話してくれた。 そして、「もし他の子がいじめられているのを見たら、どう思う?」と聞いた。ジョアンは「苦しいし、悔しい…助けてあげたい」と答えた。祖父は「それでいいんだ。その優しさがあれば何も心配ない。大丈夫だよ」と言ってくれた。
 その日から彼女は変わった。バングラデシュ出身の生徒が、肌の色を理由にいじめられているのを見ると、いじめっこに果敢に立ち向かい、友人を救った。 すると、彼女自身へのいじめも減っていった。中学生になると、補聴器も小さな物に変更し、 持ち前の明るさも相まって、聴覚障がい者とは誰も気づかないほどだった。
 ところが、ジョアンはアッシャー症候群の疑いがあると診断され、いずれ視力まで失う可能性を指摘される。その後10年以上、視力に問題はなく、就職し、障がい者支援団体の代表にも就任した。しかし、ついに視覚にも障害が現れ始める。目が見えなくなれば、読唇術は使えない。そこで、ジョアンは人工内耳の手術を受けることを決意する。80年代後半から普及した人工内耳は、音を受信する機械を頭部へ埋め込み、直接神経を刺激することで音を脳に認識させる医療技術である。もし手術に失敗したら、今は聞こえるかすかな音を失う。ジョアンはそれが怖くて決心がつかなかったのだ。二〇一四年、ジョアンは勇気を振り絞り、人工内耳の埋め込み手術を受ける。1ヶ月の入院を経て、ついに人工内耳を作動させる日が来た。彼女は40歳にして初めて「音」を聞いたのだ。「私にとって音を聞くというのは、想像もできないような体験でした。音を聞いて初めて声というものは人によって違うことを知ったのです」 とジョアンは言う。
 この動画がインターネットにアップされると、イギリスのメディアの注目を集め、多くのテレビ番組に出演して同じアッシャー症候群に苦しむ人々に希望を与えた。さらに、かつていじめから救ったバングラデシュ出身のクラスメイトからも連絡があり、彼女の祖国でボランティア活動も行う。今年4月には、これまでの人生を綴った書籍も出版している。たとえ障がいを抱えていても、彼女の心に不自由はない。「音が聞こえるようになったことで私は生まれ変わりました。まるで赤ん坊のように体験すること全てが新鮮です。どん底からこんな素晴らしい世界へと導いてくれた祖父に本当に感謝しています」 とジョアンは言う。
 ジョアンさんは、著書『音に出会った日』に、こう記している。「ただ生きていることと、充実した人生を送ることはまったく別物だ。人の力になることで、わたし自身も大きな満足をえられる。彼らが輝きはじめるのを見るのは無常の喜びだ。わたしが自分以外の人たちの個性を尊重し、聖書の言葉『己の欲するところを人に施せ』(マタイ7・12)を実践できるようになれたのは、ひとえに祖父のおかげです」と。ジョアンさんの祖父、曾祖父は元軍人であった。「正しい指導と支援が与えられれば、どんな子どもも、能力を伸ばすことができるし、自分にもなにかができるという自信がえられる」というのが祖父の持論だったという。子どもは、人間の思いを越えたところで、神によって与えられる。それゆえ、その魂が神とつながり、神の子として成長するように育てなければならない。

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